記憶に残る名馬供淵謄鵐櫂ぅ鵐函

2020.04.07 Tuesday

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額の流星

 

流星の貴公子

前回に引き続き、競走馬のお気に入りをご紹介。今回は、テンポイント。北海道生まれ、関西育ちの馬です(滋賀県栗東トレーニングセンター所属)。東高西低と言われていた当時では、関西で圧倒的な人気を誇っていました。栗毛の美しい馬体と額の流星型の白毛斑から「流星の貴公子」と呼ばれました。この馬は、クラシックでは無冠に終わりましたが、大きなレースを幾つか勝ち取っています。最後が壮絶で、涙無くして思い出をたどることができません。私が獣医ということもあり、安楽死の必要性を真剣に考えさせられた事件でした。

流星走る!

1973年(昭和48年)4月に北海道で誕生。名前の由来は、当時の新聞の本文の文字の大きさが8ポイントだったので、少し大きい10ポイントで書かれるようにしたいね、との願いが込められています。
1975年に函館競馬場の新馬戦でデビューし、圧勝。クラシック候補と評価されるようになりました。第2戦、第3戦とも圧勝し、年間の優駿賞最優秀3歳牡馬に選ばれました。その後関東で出走し、5戦5勝でクラシックに進むことになります。

クラシックでは、ストライキや体調不良のため、優勝できませんでした。その後左前脚の剥離骨折が判明して、休養に入ります。2カ月ほどの治療で治癒し、菊花賞に出走しましたが、最大のライバルであったトウショウボーイに勝つことができず、「悲運の貴公子」と呼ばれるようになりました。その後天皇賞を制して、初めて八大競争制覇を成し遂げました。でも宝塚記念では、またもトウショウボーイに敗れてしまいます。トウショウボーイの出ていないレースでは勝ち続け、有馬記念で再度合いまみえることとなります。このレースは競馬史に残る名勝負とされ、トウショウボーイとの一騎打ちの激しい競り合いを重ねながら、最後にテンポイントが競り勝ちます。トウショウボーイに初めて勝った瞬間でした。

6歳馬となり、海外遠征を行うこととなり、壮行レースとして日本経済新春杯に出走。しかし!コーナー入り際で左後肢を開放骨折、途中棄権しました。

流星落つ

通常、脚の開放骨折の場合は安楽死が選択されるのが競走馬の宿命でしたが、ファンから多くの声が寄せられ、手術されることとなりました。エリート集団である中央競馬会の獣医33名による手術は成功したかに見えましたが、患部が腐敗し治療が断念されました。安楽死は行われず、そのまま息を引き取りました。毎日のように容体が報道され、「死」は一般紙でも大きく取り上げられ、多くのファンを悲しませました(涙)。私も毎日応援していたのですが残念です。額に流星を冠した美しい容姿が偲ばれます。

 

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